金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

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みなさんこんにちは。ビューティーホクリクはシーズン2になったが全然更新しないではないか!!コラー! と最近言われましてm(__)m m(__)m

「ネタは溜まっているんですけど」と言い訳しかしていませんm(__)m m(__)m まったくもってごめんなさいm(__)m m(__)m あまり期待しないで時間があったら見てやってください。

北陸新幹線も開業から丸3年を迎えようとしています。このマガジンも2017年はかなりお休みしましたがまた少しずつ再開していきます。

さて、金沢への観光へ来たら何しますか?おそらくなんとな〜く金沢へ来たという人は次のミッションを行うはずです。

・金箔ソフトを食べる
・金沢21世紀美術館へ行きプールの上下から写真を撮る
・海鮮丼を求めて列に並ぶ
・着物をレンタルして「ひがし茶屋」を散策
・なにか美味しいものを食べたい

きっと多くの金沢市民は思うのではないでしょうか

金沢観光ってそうじゃないような…
どうしてそうなったんや…

というわけで新しい金沢観光を提案しようということで今回企画したのは「金沢観光の新提案 古写真で歩く金沢」です 

パチパチパチパチ!!

海鮮丼や金箔アイスも全然いいと思います!が、玄人的な金沢市民としては金沢へ来る際は是非この古写真とともに金沢を観光してほしいのです。

写真の歴史と金沢の写真

写真のはじまり

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!
ニセフォール・ニエプス(Wikipediaより)

そもそも、カメラ・写真というものは一体いつできたのか。

ダゲレオタイプという名前も聞きますが、18世紀には様々な施策が行われてきたが、定着させた最初は1824年(文政7年)のころにニセフォール・ニエプス(ニエプス)と言われています。

当時はピューター(スズと鉛)と言われる板にアルファルトを塗り光を当てるというものだったようです。しかし、8時間〜20時間もの間露出しないといけなかったりと実用的ではなかったようだ。

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(Wikipediaより)

その後、ニエプスの技術はダゲールと共同開発することになるが、ニエプスは亡くなり息子に代を譲るのだがその際に後にダゲレオタイプを世に出すルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(ダゲール)との契約でニエプスの名前は残されないこととなってしまう。

そして、1839年(天保10年)完成するのがダゲレオタイプ。このダゲレオタイプは面白いことに写真の特許はフランス政府が買い取っている。故に多くの人が使えるようになったということもあるようだ。

日本に伝わった時期と謎の文政4年の兼六園の写真

このダゲレオタイプがすべての原点だとすると、現代のように超最速で日本に入ってきたとしても最速1839年(天保10年)以降ということになる。実際に調べてみると日本に写真が伝わったのは1848年(嘉永元年)とのことだ。ダゲレオタイプが完成してから9年も後のことだ。

金沢での最初の写真はなんと驚くことなかれ1821年(文政4年) の兼六園(当時は竹澤御殿)の写真だ。写真の裏に文政4年と書かれているようだが、世界的にはまだニエプスの定着すらできていない。何らかの間違いなのではないだろうか?

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!
写真) 文政4年とされている兼六園からの写真(20世紀の照像―石川写真百年・追想の図譜 改編版より)

と調べていたところ伝説のまいどさん「武野一雄」さんからご回答を頂いた。武野さんによるとこちらは写真ではなく「絵画」であるということだ。武野さんの話は

加賀藩と富山藩の絵師で蘭画(洋画)を描く人はいなかったが、泥絵を用いた真写法はあった。 遠藤高璟の多くの著書に『写法真術』六巻や『真写弁』、『鏡影発理』がある。『写法真術』(文政元年~嘉永三年)には、文政元年に西洋の書籍を参考に考案した写法のことが載っている。これはカメラ・オブスキュラの原理で、実際に描いた絵を障子の穴から人に見せて感想を聞いているし、竹沢御殿から河北潟北面を見た絵も描いている。

遠藤高璟(1784-1864)は、 江戸時代後期の武士,暦算家。天明4年2月15日生まれ。加賀金沢藩士。作事奉行,普請奉行などをつとめた。数学,天文,測量,機械などに精通し,「加越能三州地図」「金沢分間絵図」の作製を指導,日時計,測量具などをつくった。

ということだ。さすが伝説のまいどさんである。金沢の知識のデーターベースだと思う。今回もありがとうございました。[武野さんのWEBサイト]

1848年(嘉永元年)以降の写真

明治期に入ってからもちろんであるが金沢でも多くの写真が残されている。明治では私の先祖の写真(明治元年の先祖の写真)もあるくらいなので、武家では一般的になっていたので珍しいものではない。

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!島津斉彬
写真) 島津斉彬(Wikipediaより)

ここで興味が出てくるのは1848年(嘉永元年)から大政奉還のあった1867年(慶応3年)までの19年の記録写真だ。

調べていくと日本に写真が伝わった1848年(嘉永元年)から9年後 日本人が撮影した最も古い写真は1857年(安政4年)の島津斉彬の写真が最も古い写真となっている。

金沢に絞ってこの19年間の写真を調べてみるが全く出てこない。明治時代に入るととてつもなく写真の数は多いのであるが。そこで、江戸期の金沢の写真をご存じの方がいらっしゃったら是非教えてください。石川県立図書館でも調べてみることにします。※期待させといて不甲斐なくすいません

ここまで読まれたらおわかりと思います。金沢の古写真のほとんどは明治以降のものです。

古写真でめぐる金沢の旅

さて、くっそ長い前置きもようやく終わり笑

古写真を使って金沢の街を歩こうというのが今回の企画です!

企画を忘れてしまうくらい前置きが長くすいません。。こちらのサイトは「玄人向き」なのです。すいません m(__)m m(__)m

まず今回準備したのはこちらの写真たち

の6箇所をめぐりました。写真の出典は 北陸中日新聞 石川百年―写真集 1989です。(※すべて昭和37年以前の写真です)

 
金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

 

金沢城 百間堀
(石川百年―写真集 1989より)
金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

 

主計町
(石川百年―写真集 1989より)
 
金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

 

尾山神社
(石川百年―写真集 1989より)
金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

 

兼六園坂上
(石川百年―写真集 1989より)
 
金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

 

兼六園下
(石川百年―写真集 1989より)
金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

 

卯辰山
(石川百年―写真集 1989より)
 
古写真と現代を重ね合わせ、場所の奥深さを感じるというのが今回の旅の大きな目的です。

それではちょっとお付き合いください。

1) 金沢城 百間堀

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!
 

兼六園とつながっているのが金沢城。金沢城と兼六園の間が百間堀と言われる、昔は水の張ったお堀があった場所です。今回準備したのはお堀の水も抜かれた大正時代の写真です。お堀は明治43〜44年に行われた大工事で埋められました。

また、そのお堀の後には金沢の市電が走っていました。この市電は1919年(大正8年)に開業。そのために、この古写真は大正8年以降の写真ということになります。記録ではこの写真は大正10年となっていました。軽い雪化粧をした石川城門と市電。

 

金沢城 百間堀の昔

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金沢城 百間堀の現在

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!
 

この百間堀に関しては本マガジンでもちょっと詳しく取り上げています

兼六園と金沢城公園をつなぐ「百間堀・石川橋」の風景を追う地味な歴史探訪!しかし!知ってて損はない!観光がちょっと楽しくなるだろ!

美しさというものは一目惚れのような直感的な美しさ、そして深く知れば知るほど気持ちがわかり尊さが分かるという深い慈愛のような美しさがあるのではないかとおもうのです。歴史を知ることでこの百間堀にかかる石川門の美しさがまた一段と美しく見えるようになるのです。( 2014年12月15日公開 / 6年 )

2) 主計町

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

主計町(かずえまち)と読みます。かつてはこの主計町には富田主計(とだかずえ)がこの地に屋敷を構えたことからこの場所は主計町という名前となりました。しかし、昭和のオリンピックの前に金沢は町名変更のモデルケースとなり多くの町名が変更となりました。その変更した町名の一つもこの主計町でした。しかし、平成に入り金沢の町名復活の動きからこの主計町は町名復活しました。現在は数多くの料亭などが並ぶ金沢の観光地の一つとなりました。

主計町の昔

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

写真の上の方の木々は久保神社だと思われます。今では観光地となり多くの料亭などがならぶこの町並みは今とは全然異なります。

主計町の現在

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3) 尾山神社

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

この尾山神社はもともとは「金谷御殿」という名前で前田家の数々のお殿様の隠居場として利用されていました。しかし、明治維新を迎えこの場所は明治6年に加賀藩祖前田利家公とお松の方を祀る神社として建立されました。その2年後、明治8年には写真にも写っている神門が完成します。要するにこの神門の完成が明治8年ということなので写真もそれ以降の撮られた写真ということになります。

尾山神社の昔

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

階段の高さも今と変わらず。階段周辺はもともとは総構があったこともあり工事が大掛かりだったようです。

尾山神社の現在

4) 兼六園坂上

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

兼六園坂は兼六園の「小立野口料金所」から出たところです。こちらは加賀八家の奥村家もこの辺に屋敷を構えていたことから、今なお立派な塀が残されています。また、この周辺は出羽町と呼ばれ戦後軍人さんなどが住まいを構え結構立派なお家が多かったといいます。奥村家の跡地には国立病院が建設され、現在は「国立病院機構 金沢医療センター」という名前となっています。

兼六園坂上の昔

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

写真の左側が奥村家の屋敷跡で立ち並ぶ大木はもしかしたら現在もそのままかもしれません。塀はかなり手入れされているようにも見えます。

兼六園坂上の現在

5) 兼六園下

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

兼六園下は兼六園の桂坂口の交差点周辺です。かつてこの周辺は金沢に市電が走っていたころ(1919年2月2日〜1967年2月11日) この兼六園下の駐車場(写真では左奥の建物)に市電の車庫があり市電の拠点として利用されていました。古写真にはその市電の開業前で道路に線路もなく、もちろん市電の車庫もなく藩政時代の跡を思わせるような雰囲気となっています。

兼六園下の昔

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

兼六園下の現在

6) 卯辰山

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

卯辰山(うたつやま) は兼六園からも見える山で金沢市民は向山(むかいやま)だとか向山(むこうやま)などと昔から呼ばれ親しみのある山です。こちらの山は前田慶寧(よしやす)時代に開拓が進み、江戸後期の安政時代では「安政の泣き一揆」の舞台となったりもしました。その卯辰山も古い写真が残されていました。多少撮影場所が今と昔ずれていて位置関係が多少ずれているが、写真中心に写っている橋「梅の橋」はおそらく今と場所は変わっていない。もちろん写真奥の方に写っている浅野川大橋の場所はまったく変わっていない。浅野川沿いに立ち並んでいるマンションについては、その建てられた経緯などの話をしたらまた止まらなくなるのでこちらでは割愛。

卯辰山の昔

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

卯辰山の現在

金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!

さいごに

久しぶりの記事でしたが「金沢観光の新提案!古写真で歩く金沢の街。古きから金沢を訪ねる金沢観光を提案!」 はいかがだったでしょうか?

今回も前置きがくっそ長いだけで、写真の説明が手抜きなのでは無いか?! というお叱りの声も聞こえてきそうですが、前置きのほうが楽しかったのです笑 許してください(;_;) (;_;) (;_;) (;_;)

2015年3月14日北陸新幹線開業の様子

金沢は新幹線の開業から大きく変わりました。観光客の数も多くなり、市民生活にまで影響が出てきました。タクシーが来ない、人が多く歩きにくい、近江町市場で物が買えない、東山でゆっくりできない。それも含め変化した金沢として金沢市民は受け止め、ともに共存していかなければいけない。そのときに忘れてはいけないことは、この金沢という場所は先人たちが大切に作り上げてきたということ。何でもかんでも新しく便利になればいいというわけではない。その歴史や風土、先人たちの思いとしっかりと受け止めて繋いでいく。その中には私達の想いも込めて進化させながら繋いでいく。そのためには過去を知り文化を知り昔を訪ねる、温故知新だろう。

この記事も新しい金沢を作っていく一つとなれば本望です。

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