石川県金沢の名前の由来を完全解説!もう「芋掘り藤五郎」が金沢の由来だなんて言わせません!

石川県金沢の名前の由来を完全解説!もう「芋掘り藤五郎」が金沢の由来だなんて言わせません!

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金沢の名前の由来。そんなもん知っとるわいね。金城霊沢だろ?芋掘り藤五郎が芋ほっとってそれが金になったという伝説が金沢の由来なんや。

一般的にはそういうふうに言われています。おそらく金沢に住んでらっしゃる方。ちょっと金沢の歴史をかじった方なら耳にしたことがあるかもしれません。

今回の記事はこの「金沢」という名前の由来をガチで掘り下げます。本当の金沢の由来は一体どこにあるのか。歴史的文献、民族学的アプローチを絡め日本で一番詳しい記事として書かせていただきたいと思っています。

絶対に知っておかないとならない石川県郷土研究家の紹介

古書 石川県金沢の名前の由来を完全解説!もう「芋掘り藤五郎」が金沢の由来だなんて言わせません! まず、金沢の由来を知る前に知っておかないといけないことがあります。それは、石川県の歴史をどのように編纂されてきたかということについてです。金沢の由来も過去の研究者がしっかりとまとめられているからこそ由来が由来として存在しています。まずは、郷土研究者を知るところから始めましょう。

石川県の郷土研究の基礎を築いた三賢者というのがいらっしゃいます。加賀藩士であった富田景周(とだかげちか)、森田平次(柿園)(もりたへいじ・しえん)、明治時代に入って日置謙(へきけん)。今日の石川県の郷土の歴史がしっかりと体系化されているのは間違いなくこの三人と言われております。本マガジンでも最大限にリスペクトさせて頂いております。

特別この日置謙先生は石川県史、加賀藩史料、加能郷土語彙など今日の石川県郷土史では必要不可欠な郷土資料を編纂しています。泰斗と呼ぶ以外に呼び方がないほどの泰斗です。

金沢の名前の由来もまずこの日置先生の石川県史、そして加能郷土語彙を参照するというのが基本です。

日置謙 金沢県?間違ってる?時代が違うだけで正解です!金沢県と石川県を間違えても正しく答える石川県・金沢の名前の説明模範解答教えます。 日置 謙 / へき けん
明治6年3月4日金沢市田町(一説では岩根町)で小学校の教師をしていた渡辺惟清の長男として生まれる。明治27年、第四高等学校中学校文科を卒業後、石川県尋常師範学校へ進む。熊本陸軍幼年学校、福井県立福井中学校、岩手県福岡中学校での教諭を経て、明治38年から石川県立金沢第一中学校教諭となる。大正10年には石川県史の編纂を委託され、昭和2年に「石川県史」5巻が完成した。四大著書をはじめ多数の郷土史を執筆、編纂している。(※日置謙展パンフレットより)

金沢の初見

金沢という名前の初見、特別文献で一番最初に現れるということで初見というわけです。しかし、実際には民族学的な話をすると文献に現れる前から金沢と呼ばれていたのかもしれませんが、その確認ができないのが実際です。そのため必然的に文献での初見が金沢の初見となってしまうのです。

この「金沢」の二文字の初見に関しては日置先生の「石川県史」第二編、加能郷土語彙も同じ内容でして下記のようにあります。

越登賀三州志には、文治三年加賀の士井上左衞門の從臣に金澤源次あることを掲ぐれども、こは盛長私記に基づきたるものにして、盛長私記の僞書たる定説ある上は之を引證すべき限りにあらず。

同書にまた、天正某年卯月朔日附にて本願寺の老臣下間侍從頼純より堀五兵衞に與へたる感状に、『今度於於金澤表首一討取候段、寔不始于今高名無比類儀候。』とあるを引けども、この文書は、元と於金津とありしものにして、金津は越前の地なり。然るに影寫の際その草體より金澤と誤りたるものなるが故に、是亦引證とすべきにあらず。

同書は又天正五年上杉謙信の加賀に入りし時、陣僧萬里和尚と共に茶臼山に登りしに、萬里は金澤城を望みて『君祈萬歳白山社。臣守四方金澤城。』の一聯を作れりとすれども、その出典全く明らかならず。こゝにいふ萬里にして、若し梅花無盡藏を著したる萬里周九なりとせば、彼の寂年を詳かにせずといへども、文明十五年に七十歳なりしを以て、天正中までは存命し得べからざるのみならず、彼は關東より越後・越中に來りしことあれども、それより飛騨に赴きたるが故に、加賀に入りしことは決してこれなかりしなるべく、且つ梅花無盡藏を檢するも上記の句を發見する能はず。

萬里の作れりといふ聯句に就いては、有澤武貞の著せる金澤正極圖譜に、石川郡御供田村の農土屋又三郎義休が村巷の口碑を武貞に語りたろことを載せたる中に、この事をも記したるが故に、初めて訛謬を傳へたるものゝ義休たるべきは、略之を察するに足るべし。又箕浦五郎左衞門の著せる秘笈雜書には、『或説に謙信松任歸りに、此山は臥たる龍に似たり、富貴たるべしと宣と也。臥龍山と云山なり。妙心寺開山和尚の詩に、臣四方圍金澤城。君萬歳祈白山社。』と記したれども、妙心寺開山は關山慧玄にして吉野朝の人なり。

この時何の金澤城あらんや、亦杜撰極れりといふべし。之を要するに、越登賀三州志に載する金澤の地名に關する記事は、一も信憑するに足るものを見ること能はず。

思ふに金澤の地名は、その起ること古きに在るべしといへども、文明の頃は尚その地に注目を惹くに足るべき部落なかりしものゝ如し。何となれば廻國雜記を見るに、道興准后がこの國を旅行したる際、野々市にても、津幡にても和歌を詠じたるに拘らず、金澤に就きては一も之を遺さゞりしを以てなり。

而してその確實に金澤の名稱を發見し得るは、實に天文日記十五年十月廿九日の條に加州金澤坊舍の語あるに始り、永祿十年の麹座寄進状に金澤後町山崎屋新四郎とあるもの之に次ぎ、天正四年八月廿一日附一向一揆頭目の連署状には、『金澤於御堂各被致頂戴』といひ、十一年五月秀吉の消息に『金澤と申城に立馬』といひ、十三年又秀吉の消息に『けふはかなざわにこしさら』などの語を見るに至れり。されば本願寺實如のこの地に坊舍を建てたる後、漸くその名の著るゝに至りしが如く考へらる。

或は曰く、天文日記六年四月廿四日の條に、『加州金澤庄より勸物千疋來、請取唯今以周防到候(出カ)。』とあるを金澤の名の初見とすと。こは天文日記原本に金津庄とあるを、他の寫本に誤つて金澤庄の草體に書きたるに依る。從ふべからず。

日置謙 金沢県?間違ってる?時代が違うだけで正解です!金沢県と石川県を間違えても正しく答える石川県・金沢の名前の説明模範解答教えます。
写真) 日置 謙

この難しい文章の中で日置先生が上記の文章で書いていることは

越登賀三州志(富田景周編纂)は根拠が乏しくあまり信用に足らず。日置先生が調べるところによると天文日記※1の中に天文15年(1546年)10月19日に「加州金澤坊舍」という言及があった後、永禄10年の麹座寄進状に「金澤後町 山崎屋新四郎」という名前で「金沢」が登場する。続けて天正4年(1576年)8月11日に一向一揆の連署状(捺印付きで提出した書物) に「金澤於御堂各被致頂戴」とある。

その後、天正11年(1583年)5月秀吉の消息に「金澤と申城に立馬」。天正13年(1585年)に秀吉の消息に「けふはかなざわにこしさら」と金沢を目にすることができる。

要するに書物的な初見はこの 天文日記の中の天文15年(1546年)10月19日に「加州金澤坊舍」という名前が文献的な「金澤」の初見 と言われている。日置先生がまとめたこの内容が今も石川県史にも書かれており、金澤の初見の定説になっています。

※1 天文日記は別に証如上人日記・本願寺日記・石山本願寺日記などの別名がある。本マガジンでは天文日記と呼応します。

芋掘り藤五郎伝説の内容

あれ?芋掘り藤五郎は?

芋掘り藤五郎

芋掘り藤五郎 金城霊沢
芋掘り藤五郎がこの金城霊沢で芋を洗ったという

危うく忘れそうでした。。。芋掘り藤五郎は。。難しい文献による金沢の発見に気を取られていました。。。

「加州金澤坊舍」という名前の由来が芋掘り藤五郎なんでしょ???ん??

この「芋掘り藤五郎」という話は「藤五物語」「越登賀三州志」「伏見寺縁起」などに記されている物語で、実は皆さんもごぞんじの「まんが日本昔ばなし」にも登場していました笑 しかも2つありまして

芋ほり長者 放送日 1977年04月30日 [ 紹介ページ ]
イモほり藤五郎 放送日 1990年10月27日 [ 紹介ページ ]
この芋掘り藤五郎の話を大胆にも箇条書きで笑
・無欲の貧乏暮らしの藤五郎は芋掘りで生計を立てていた
・藤五郎の元へ美しい嫁が行列とともに何故かやってくる
・大和の国は初瀬の里より「生玉右近方信」(※1お琴・かずこ)という長者の娘だった
・なぜ芋掘り藤五郎のところへ?「観音様のお告げで芋掘り藤五郎のところへ来た」という←なんてこったい
・大和の国からお琴が持ってきた一生分の小判の財産を藤五郎は酒と交換してしまう
・途方に暮れていた「お琴」はある日、裏庭でたくさんの金塊を見つける
・その金塊のお陰で無欲の芋掘り藤五郎、お琴は長者ぐらしする
・その見つけた金塊を洗った沢が金の沢ということで金沢になった
・この沢が今の「金城霊沢」であるという

※1 まんが日本昔ばなしでは生玉右近方信(いくたまうこんほうしん)のことをお琴、かずこという名前になっており本マガジンではわかりやすいようにこのお琴という名前を使わさせていただきます。

というお話。馬鹿丸出しの芋掘り藤五郎にお告げ一つで嫁に来たお琴が可愛そうでならないのですが。。。

では、次に

この話が本当に金沢という名前の由来なのか?
という非常に重要な問題を考えます。

芋掘り藤五郎の伝説と金沢の由来の信ぴょう性

このお話について柳田国男は「炭焼小五郎」の文の中に触れて多くの同じような伝説に関して解明を試みており、この柳田国男の弟子でもある金沢の眼科医でもあり加能民俗の会の創設者でもある 長岡博男(ながおかひろお 1907-1970) は次のように説明した。

芋掘り藤五郎の伝説は焼き芋長者系の伝説であって全国に分布し、その数は少なくとも46を数えることができる。したがってこれは金沢の地名の起源を説明する独特の伝説とはいえない。

また、一方、全国の金沢という地名18箇所について調べると、その2/3は金と関係がある。この金沢も市街を貫流する犀川の上流には、かつて倉谷鉱山があって金を産出したし、犀川の河底の砂にも砂金がいく分かまじっていることは事実でこれを採取していたこともある。

このことから考えても金沢の地名発生をおおよそ憶測できるのではないか、この金沢の地名に、他から来た炭焼長者の伝説が付着して芋掘り藤五郎の伝説となったのではないか、鉱山で富鉱をイモというが、このイモを掘ることと、伝説の芋を掘ることとが関係がある。

柳田国男
柳田国男 Wikipediaより

また、この炭焼長者の伝説は、柳田国男によると中世の交通が不便な時代から鋳物師によって全国に運搬されたものという。

鋳物師は便宜な地に仮住まいして鋳物業を営み、炭焼きをその副業をして全国を渡り歩いたといわれると話している。

金沢の名前の由来についての考察

要するにこの芋掘り藤五郎の話だけをとって金沢の由来であるという説には民俗学からしても相当飛躍したもので無理があるというのが答えだろう。

実際は金沢という場所は金の採掘が出来る場所であった。かつて倉谷鉱山が犀川の上流にあったということを考えるとその流れは当たり前だろうという。

石川県の金沢という地名以外にも全国には金沢という地名があり、多くが金の採掘に由来しているということを考えても、金沢の由来が金の産出であるということが極めて自然であるといえる。

そこで、

実際に石川県の金沢という地名以外にどのくらい金沢があるのだろうと調べたところざっと56もありました!!

石川県の金沢は省いてあります。

愛知県 知多市 金沢 【かなざわ】
愛知県 豊川市 金沢町 【かなざわちょう】
青森県 青森市 金沢 【かなざわ】
青森県 青森市 北金沢 【きたかなざわ】
青森県 上北郡七戸町 金沢平 【かなざわたいら】
青森県 西津軽郡鰺ヶ沢町 南金沢町 【みなみかなざわまち】
秋田県 仙北郡美郷町 金沢 【かねざわ】
秋田県 横手市 金沢 【かねざわ】
秋田県 横手市 金沢中野 【かねざわなかの】
秋田県 横手市 金沢本町 【かねざわもとまち】
茨城県 久慈郡大子町 上金沢 【かみかねさわ】
茨城県 久慈郡大子町 下金沢 【しもかねさわ】
茨城県 日立市 金沢町 【かねさわちょう】
茨城県 日立市 東金沢町 【ひがしかねさわちょう】
岩手県 一関市 花泉町金沢 【はないずみちょうかざわ】
岩手県 上閉伊郡大槌町 金沢 【かねざわ】
神奈川県 横浜市金沢区 【かなざわく】
埼玉県 秩父郡皆野町 金沢 【かねざわ】
滋賀県 彦根市 金沢町 【かなざわちょう】
静岡県 裾野市 金沢 【かねざわ】
千葉県 市原市 金沢 【かねさわ】
千葉県 千葉市緑区 大金沢町 【おおかねざわちょう】
千葉県 千葉市緑区 小金沢町 【こかねざわちょう】
徳島県 徳島市 金沢 【かなざわ】
栃木県 那須塩原市 金沢 【かねざわ】
鳥取県 鳥取市 金沢 【かなざわ】
長野県 茅野市 金沢 【かなざわ】
奈良県 磯城郡田原本町 金沢 【かなざわ】
新潟県 阿賀野市 金沢 【かなざわ】
新潟県 新発田市 金沢 【かなざわ】
新潟県 長岡市 金沢 【かなざわ】
新潟県 新潟市秋葉区 金沢町 【かなざわちょう】
新潟県 新潟市秋葉区 新金沢町 【しんかなざわちょう】
新潟県 新潟市秋葉区 西金沢 【にしかなざわ】
新潟県 新潟市秋葉区 東金沢 【ひがしかなざわ】
兵庫県 加古川市 金沢町 【かなざわちょう】
福島県 郡山市 田村町金沢 【たむらまちかねざわ】
福島県 東白川郡棚倉町 金沢内 【かなざわうち】
福島県 東白川郡矢祭町 金沢 【かねざわ】
福島県 福島市 松川町金沢 【まつかわまちかねざわ】
福島県 南相馬市 原町区金沢 【はらまちくかねざわ】
福島県 耶麻郡猪苗代町 津金沢 【つがねさわ】
北海道 石狩郡当別町 金沢 【かなざわ】
宮城県 大崎市 岩出山上金沢 【いわでやまかみかねざわ】
宮城県 大崎市 岩出山下金沢 【いわでやましもかねざわ】
宮城県 本吉郡本吉町 小金沢 【こがねざわ】
山形県 新庄市 金沢 【かなざわ】
山形県 新庄市 上金沢町 【かみかねざわまち】
山形県 新庄市 下金沢町 【しもかねざわまち】
山形県 鶴岡市 金沢 【かねざわ】
山形県 南陽市 金沢 【かねざわ】
山形県 東村山郡中山町 金沢 【かねざわ】
山形県 山形市 津金沢 【つがねざわ】
山梨県 笛吹市 一宮町金沢 【かなざわ】
これらの金沢の由来を調べられるものを調べてみたら出るわ出るわ。金が由来の地域。たくさんの金沢。驚きました。
・岩手県 一関市花泉町金沢 : 金の産出に由来すると言われる。
・秋田県 横手市金沢 : 金洗沢の字地に示される砂金の産地や砂金貢納地に由来するといわれる。
・山形県 鶴岡市金沢 : 当地には出雲国から7軒が移り住んだと言われ、その際に女性が洗い物をしようとして沢に行き・金塊を発見したことに由来する。。
・山形県 新庄市金沢 : 金掘沢という沢名に由来すると言われる。
・福島県 東白川郡矢祭町金沢 : 中世に佐竹氏の頃に三森山のふもとで金の採掘が行われ、そこより流れる沢に開けたことに由来する。
・茨城県 日立市金沢町 : 付近の山から金を産したことに由来する。
・栃木県 那須塩原市金沢 : 昔、砂金が渓谷から流れ出たことに由来する。
・神奈川県 横浜市金沢区金沢町 : 古くは「カネサワ」と呼ばれた。地名の由来に関しては、釜利谷付近で金糞が多く発見されており、畠山氏とゆかりの深い秩父の金沢村から鍛冶匠が移住し、故郷の名を伝えたものとする説がある。また「カナサワ」を鉄分で赤味をおびた川と解する説や、宮川が曲流する地形にちなみ曲沢を「カナサワ」と称したと推定する説もある。【角川日本地名大辞典】
・長野県 茅野市金沢 : 宮川支流の金川の上流に天正年間に武田信玄が採掘した金鶏金山があり、この金山や金川により名付けたと伝えられる。

ここまで来ると金沢という地名は金が由来と言っても間違いはないと思えてくるから不思議です。

↓ 実際に鳥取に行った時に私が見つけた鳥取県鳥取市金沢

鳥取県 金沢 石川県金沢の名前の由来を完全解説!もう「芋掘り藤五郎」が金沢の由来だなんて言わせません!

金沢の名前の由来のまとめ

色々と脱線しながらも金沢の名前の由来を見てきました。一度まとめてみることにします。

まず、文献に現れる金沢の地名の初見についてですが

天文日記の中の天文15年(1546年)10月19日に「加州金澤坊舍」という名前が文献的な「金澤」の初見

と言われている。そして芋掘り藤五郎伝説から考える金沢の由来(民族学的な由来)についてですが


1. そもそも同じ金沢という名前が全国に60近く存在する
2. 全国の金沢という地名の多くの由来が金の産出と関係がある
3. 金沢の犀川上流にかつて鉱山倉谷鉱山があり金の産出ができた
4. 鉱山で富鉱をイモといい「芋掘り藤五郎伝説」と金沢の地が結びついた

「芋掘り藤五郎」が金沢の名前の由来だろ?!という安直な答えはやはりどう考えても説明するには難しいというのが実際なのです。実際に同じ話が50近くもあり金沢独特のものとはいえない。また、日本国内の金沢という地名が60近くあるがその多くの名前の由来の多くが金の産出と関係があるというところからも金沢の名前の由来も金の産出と関係があるだろうと容易に想像ができる。

犀川上流に16世紀からはじまる倉谷鉱山という鉱山もあった。そのため金が金沢で産出したということに由来すると考えても不自然ではないというのが答えです。

この流れから 芋掘り藤五郎との結びつきは、鉱山で富鉱をイモということもあり、このイモを掘ることと = 伝説の芋を掘ることと単純に結びついた。というのが金沢という名前の由来ではないかと推測ができます。

例えば茨城県日立市金沢町の由来が芋掘り藤五郎が由来でもおかしくはないわけです。単純に数多く存在する金沢という同じ名前の中でも石川県金沢という場所が歴史的にも豊かで大きな街だったので芋掘り藤五郎の伝説が石川県金沢の由来とされているだけでしょう。

まじ?芋掘り藤五郎の墓と屋敷跡?!まじ!?

芋掘り藤五郎 藤五郎の墓

知ってましたか?寺町に芋掘り藤五郎の墓があるということを。金沢市寺町にある「伏見寺」には写真の通り芋掘り藤五郎の墓が存在します。

こちらはなんと奈良時代に建立したといわれる寺だそうです。。移転はしているでしょうが。藤五郎の墓までございます。もうここまで準備されると藤五郎さんやっぱりいたんだ。伝説じゃなかったんだ!とか思ってしまいます。。いやいや。。そんなバカな。夢のない私ですいません。とは言え富樫家の先祖では?という話も色々とございまして見逃してはおけないというのも正直なところです。いつの日かこの歴史の話を追ってみたいと思います。

芋掘り藤五郎 藤五郎の屋敷跡

そして、こちらは芋掘り藤五郎の屋敷跡です。芋掘り藤五郎の伝説と同じで金沢市の山科にあるとのことです。まじっすか!と声が出てしまった。あまりに現実離れしている気がして夢のない私は、ほんまかいなと首を傾げてしまいました。すいません。。やはり民族学的なことはやはりわからないことだらけです。

※ 写真) 日本の民話6 北陸(新潟・富山・石川・福井) 研秀出版 昭和56年

金沢と尾山という地名

もしかしたら知ってる人は言うのかもしれません。かつては金沢になる前は「尾山」と金沢のことを呼んでいたのです。この尾山という名前は前田利常の時に使われ、前田利長の時に金沢に戻ったという話を。その尾山の話にもちょっと触れておきたいと思います。

この「尾山」という名前は尾山という名前だけあって尾(しっぽのお)山(やま)ということで小立野大地の尾に当たるということから尾山なのではないかということです。それに関して面白い話がありまして、大木謙一氏は「戦前、旧制第四高等学校在校中、金沢城のことを”尾山城(びざんじょう)”」と呼んでいた。尾山城とは”小立野(台地)の尾を曳いたような山”のことである」と地形学的に指摘されるということ。「びざんじょう」なかなかおもしろい。

この尾山という名前ですが、天正8年(1580年) に佐久間盛政が一向一揆の金沢御堂を落としここに入城した時に「御山」の名前を変え「尾山」にしたという説がとられていたが、田川捷一氏は佐久間氏が滅んで天正11年(1583年) 前田利家が変わって入城した後に金沢が「尾山」に改名されたと推定している。そして次の利長の時に「金沢」と名前が利用されることになると言われている。「金沢」の名前が使われたのは単に嘉字(おめでたい文字)であったからだとも指摘されている。一方、民間では「オヤマ」と使われ続けたということです。今も使いますしね笑

芋掘り藤五郎とかややこしい民族学的な付け加えがないだけ、尾山の由来のほうが金沢よりも簡単に説明ができたかもしれません。。

さいごに

いかがだったでしょうか。「石川県金沢の名前の由来を完全解説!もう「芋掘り藤五郎」が金沢の由来だなんて言わせません!」

さすがに難しかったでしょうか。いきなり石川県の歴史の先生の紹介などから始まってもうよくわからない。。となってしまっていないことを祈ります。。

金沢という名前が芋掘り藤五郎の伝説が由来だ!由来だ!と大きく宣伝してほしくないということが本来の目的だったのです。この焼き芋長者系の伝説は国内どこにでもある話で金沢に特異な話ではもちろんないということ。そして、金沢という名前も国内どこにでもあるということ。忘れないでほしい。

金沢という名前の文献的な初見は16世紀にある。そして民族学的な名前の由来の憶測は、金沢という場所は犀川の上流に金の鉱山があって、かつては金がとれた。故に金沢と呼ばれ、いつの間にかこの芋掘り藤五郎の伝説とくっついてしまったということ。全国にも多くの金沢があるが、たまたま加賀藩が大きかったために石川県の金沢の由来 = 芋掘り藤五郎といわれている。ということだろう。

こうやって多くの歴史人の考察などを知れば知るほど知識に深度が生まれ、金沢を旅しても、住んでも、見るものすべてがより美しくなっていくのだと私は信じています。


参考文献:
「石川県史」第一編 日置謙
「石川県史」第二編 日置謙
越登賀三州志 石川県立図書館協会 昭和8年
海南小記 柳田国男全集 第一巻 薩摩書房 昭和38年
加能郷土語彙 日置謙 昭和17年
都道府県名と国名の起源 吉崎 正松 昭和60年
伝統都市の空間論・金沢―歴史・建築・色彩 田中喜男 昭和52年
金沢と尾山の地名について 北陸史学 第29号
日本の民話6 北陸(新潟・富山・石川・福井) 研秀出版 昭和56年

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