大雪が降るとは必ずささやかれるサンパチ豪雪と石川県の豪雪の話!今日は雪が多いから二階が玄関です!二階からこんにちは!
皆さん新年あけましておめでとうございます。2017年も張り切っていこうと思います。しかし、なかなか更新も進んでおらず大変に申し訳ございません。元気が無いこともあります。
さて、2017年の新年の幕開けは年配のおっちゃんが必ず口にする38豪雪についてです。
昨年、2016年には日本では観測史上初ともいわれる沖縄での積雪を記録しました。この北陸での雪は大したことはなかったのですが、暖冬暖冬と囁かれていたので、車のタイヤを交換していないという方もいらっしゃったのではないでしょうか。実際に私も雪が降ってからタイヤを変えました。
近年では足首以上の雪が積もることもなく、もしかしたら今年は雪が全く降らないのではないか? という話がされるくらいに北陸では雪が少ないこともあります。
さて、ちょっと多めの雪が降ると年配の方が口をそろえて必ず言います。
38というのは昭和38年の豪雪のこと。この豪雪は調べるとかなりの雪害だったようですが、他にも昭和2年、昭和38年、昭和56年 すべて私が生まれる前の豪雪の話なのですがその時の様子やその豪雪から学んだことなどを石川県金沢の視点から少し調べてみました。
写真を少し調べてみると。。
ちょ、まず、最近の若い人たちは横安江町アーケードを知らないと思います!!に一票。ということはさておき、やはりかなりの大雪だったようですね。。
横安江町アーケードに溜まった雪は雪かきしてもしても追いつかず崩壊したという話でした。近江町のアーケードも大雪の時は雪かきが必ず必要になりますね。。これを見るとアーケード怖い。
いろいろと話しは聞いていたが実際に写真を見るとなんだかウケてきますwwwww
一つ一つウケてきますwww
もう完全に雪かきが追いついていないというか、雪かきしてもその雪の行き場がないのでしょうか。様々な消雪装置が整備されていなかったというのも実際だったようです。
この38豪雪の始まりは昭和37年(1961年)大晦日くらいから降り始め、昭和38年(1962年)に入ってから本格的な大雪となり
2)日照時間も少なかったこと
が重なり歴史的な雪害となった。これが38豪雪のようです。実際に年間の積雪量を見てみると昭和38年はそこまで雪が多かったわけでは無いようです。昭和56年の豪雪のほうが積雪としては多かったようです。やはり気温や日照時間が大きく影響しているようです。
この時の積雪量を見てみると昭和37年12月30日には全く積雪がなかった金沢ですが大晦日昭和37年12月31日から降り始めたようで積雪一センチ。
そこから断続的に振り続け昭和38年1月20日〜21日から急に降り始めたようで積雪はあれよあれよというまに100cmを超えてしまったようだ。そして、
することになる。
金沢の昭和37年12月〜昭和38年2月までの積雪と出来事
金沢の積雪を時系列に追ってみた。
昭和37年12月〜昭和38年1月
1962年12月30日 0 cm
1962年12月31日 1 cm
1963年1月1日 15 cm
1963年1月10日 13 cm
1963年1月11日 39 cm
1963年1月12日 58 cm
1963年1月15日 88 cm
1963年1月21日 75 cm 北陸一体で猛吹雪で鉄道は非常ダイヤに(3日間北陸線は動かなかったという)
1963年1月22日 107 cm
1963年1月23日 136 cm
1963年1月24日 142 cm 石川県幹線道路ほとんど不通
1963年1月25日 159 cm
1963年1月26日 175 cm 金沢市に陸上自衛隊雪害対策師団を特設
1963年1月27日 181 cm 富山は186cm, 福井は213cmの積雪に
1963年1月28日 180 cm
1963年1月29日 161 cm
1963年1月30日 168 cm
1963年1月31日 172 cm
昭和38年2月
1963年2月1日 158 cm
1963年2月5日 145 cm 雪で孤立の56地区への災害救助
1963年2月10日 136 cm 金沢市長に徳田興吉郎氏当選、石川県知事に中西陽一氏当選
1963年2月12日 131 cm 気象庁が「38・1豪雪」と命名
1963年2月28日 103 cm
一部Wikipediaやコラムなのではクリスマス前後から降りだしたという話があるが、気象庁のデータでは12月31日まで積雪はないという記録だったのでそちらを参照した。
この38・1豪雪による死者は全国で200人を超え住宅や鉄道などの被害も甚大だったようです。また、この昭和38年の年は平年に比べてヨーロッパでは低温、アラスカでは高温になるなど世界的な異常気象だったとのこと。石川県内の被害は死者15名、負傷者34名、被害総額は161億4000万円に達したという。
この38・1豪雪では数多くの教訓があった。特に道路交通安全の確保、除雪体制、除雪機械、防雪施設の整備のはじまる年になったのである。そのことから「除雪元年」ともいわれるのがこの昭和38年です。
意外と皆さんご存知ではないかもしれませんが、この38・1豪雪により陸路が完全に封鎖され陸の孤島と化した金沢ということもあり、戦後長い間棚上げされてきた金沢港の建設機運が高まり整備が進んだとのことだ。
その他、消雪装置もこの38豪雪の後くらいから整備が進むこととなったのだが、金沢がこの消雪装置の発祥ではないかという話があったが、正しくは昭和37年くらいから新潟県の長岡が発祥とされている。この辺の詳しい話は追って調査したい。
重なった38・1豪雪と金沢市長・石川県知事ダブル選挙
年配のおっちゃんがいつも口をそろえて言うのが、昭和38年2月の金沢市長・石川県知事のダブル選挙の話だ。
38・1豪雪の時にもかかわらず選挙の公示があったこともあって選挙ポスターもその豪雪の雪の中で張られた。あまりの雪のために出入り口も2階から。またまた、そんな馬鹿なことがあるかいと写真をいろいろと調べてみたら普通に2階から出入りしている写真があって笑ったのですが、実際にそのくらいの豪雪だったようです。
当然、選挙のポスターも高さの高くなってしまった生活圏に張られるので電柱の上の方に張られた。昭和38年2月の選挙が終わり、雪が溶けた時にものすごい高いところに張られた選挙ポスターがものすごく印象的だったと多くの人が口をそろえて言います。写真をいろいろと調べてみたのですが、高所に張られた選挙ポスターを見つけ出すことはできなかったが、イメージとしてはこんな感じだろうか。
さいごに
いかがだったでしょうか?じーさん、ばーさん、おっちゃん達がサンパチ豪雪のことを自慢気にいつも言うのでなんだか羨ましくいろいろと調べてみたのですが思ったほど面白い話が出てくることがなくちょと残念でした。
大雪が降っておっちゃん達に38豪雪知らないだろ?そう言われたときにこう答えてやりましょう。
さすがに普通積雪まで知らないよね。。
また、この豪雪と同時に行われた金沢市長選挙・石川県知事選挙のダブル選挙では「金沢市長に徳田興吉郎氏が当選、石川県知事に中西陽一氏が当選」したのです。また、陸路を絶たれることになったこの豪雪の後に金沢港の整備が進み、消雪に関する様々な施策が行われたということです。ってな感じでいいと思いますw
大雪は困りますが、雪の金沢もまた美しいものです。