【金沢惣構VOL.1】金沢の歴史探訪の入り口「内惣構マップ現代版」をつくりました!これを持って歩けばブラタモリ金沢なんか楽勝っ!!
こんにちは。ブラタモリ長崎、金沢、鎌倉という順に回っているようです。次はどこだろ?って毎回楽しみです。ブラブラしまくってるタモリさんは笑ていいとも終わってからも忙しいんだろうなぁ、いやいや、タモリさんの趣味なのでしょう。きっと。いいなぁいろいろなところをブラブラ楽しめてと思ったりするのですが。
今ではもう皆さん忘れてしまったかもしれませんがブラタモリ金沢の一回目で総構(そうかまえ)というお堀のお話が出てきたのを覚えていますでしょうか?
タモリさんがブラブラ歩いてこのへんが惣構だったのかーと見あげたり、惣構の跡をうまく利用した建物を見て感心していたりとしていました。
日本一金沢の深い深い歴史と斜め上を行く本マガジンではブラタモリなんて浅い浅い。ほーら本物の深さとはこういうことやーーどやーーーってドヤ顔をするための金沢惣構企画を行うことにしました。
本マガジンではこの惣構の特集をしようと考え始めたら一冊の本が完成するというくらいの内容であることに気が付きまして、特集ということで
今回は記念すべき惣構特集第一回です。
そもそも惣構とは?
いきなりアメリカの写真ですいません!!
惣構(そうがまえ)とは簡単に言うと敵の侵入を防ぐための壁(土居)+お堀のセットのことです。 例え10mの壁だけではすぐ登れちゃうのでそのお堀の前に水を張って侵入しにくくしたものというとわかりやすいかと思います。
↓ こちらは実際に残っているお堀の部分です。このお堀に土居という壁がワンセットとなります。
土居の高さは5m〜10mだとか色々と話があるみたいです。最大三階建てのビルくらいの高さだったのではないでしょうか?お堀はおよそ3間(5.4mくらい)だったという話です。※ 間違いがありましたら教えて下さい。
金沢の惣構
こちらは延宝年間に書かれた金沢の地図です ↓
黒い線になっているところが惣構(土居のてっぺん周辺)です。見て分かるように金沢は二重の惣構で囲まれていました。今とはずいぶん違う風景だったのでしょう。
この惣構えは敵の侵入を防いだり、城と外を明確に分けるための境界線だったり、火災を防いだりと単純に防衛だけものもであったというわけではないようです。
この惣構はちょうど金沢が作られ始める初期、前田利家ではなく二代目利長の時代にまず作られました。これを「内惣構」といいます。もう一つの惣構えは「外惣構」といいます。(西東などありますがとりあえずは内・外の説明で)
関が原の合戦の一年ほど前、1599年、利長の謀反の噂があったりして徳川家から守るために惣構えを築いたのではないかと言われます。金沢の内惣構の指揮をとったのはあのキリシタン大名で有名な高山右近(南坊)と言われています。しかもドラえもんがいたかのようなウルトラスーパーミラクルな短期工事で行ったとのこと。
ご存知の方も多いかと思いますが、この惣構は応仁の前の京都にもあったと言われます。戦国時代のクリエーター秀吉が京都改造事業としてお土居(おどい)を作っており今もその痕跡は残されています。
金沢の惣構えは明治維新や区画整理などで時代とともに姿を消しましたが、今では逆にその跡を遺跡として保護されている場所もあったり、生活の一部に利用されていたりするから面白いものです。
現代版の金沢内惣構地図 Google Map Edition!
本メディアではこの語りきれない惣構について特集をずっと組んで行きます。その第一回となる今回は金沢の惣構が一体どこにあったのかという地図をご紹介します。つきまして本メディア作成内惣構マップを作成しました。
とドヤ顔ですいませんm(_ _)m
寛文・延宝・安政などの金沢古地図と現代の地図を重ねあわせて作成したものです。さらに実際に歩いて野面積みらしき土居などを見つけてそれぞれ修正していきました。多少地図の歪みなどもあるのでしょうがそこまでテコ入れできませんでした。すいません。また、水が入っていたと思われる部分と土居(土の壁)とがわかりやすいように分けて地図を記入しました。
というわけで地図はこちらです。
[ Google Mapで開く ]
この地図の使い方と楽しみ方をちょっとご紹介しますのでもう少しお付き合いください。
金沢内惣構マップをつかってちょっと昔の金沢を描いてみる
この金沢惣構マップを使って金沢の街を歩いてみると色々と面白いことがわかってきます。ブラタモリ金沢でも近江町あたりや片町あたりをふらふらしていました。本メディアはそのマップを提供します。
Google mapの地図を使って金沢の惣構を回ってみると深い金沢を発見することができるはずです。ちょっとやってみましたので参考にしてみてください。
近江町市場付近
近江町付近はWの字に惣構がくねくねしていました。近江町市場の中を惣構が走っていました。有名なのはあの「世界の食品ダイヤモンド」の階段がまさにその惣構のお堀の部分になるわけなのですが。その他にも皆さんがご存知の近江町市場の「メロメロポッチ」や「たつ屋」さんもお堀の底だったようです。この近江町市場周辺の惣構の話は橋の話を交えて面白い話がたくさんありますので、特集でじっくり書きたいと思います。
↓ 雑ですいません。。市姫神社の前あたりです。このへんは惣構がででーんってあったのです。
↓ 近江町市場の有名なお店「メロメロポッチ」も実は昔堀の下だったということでしょう。
↓ 確認できませんでしたが、おそらくこの左側の近江町の商店街の地下には何らかの「秘密」があると思います。
尾張町付近
この尾張町付近がまた面白いのです。この辺りの袋町〜尾張町にかかっていた袋町橋周辺には惣構の跡をたくさん見つけることができます。袋町橋があったところには緩やかな坂になっていまして、そこにわずかに袋町橋の痕跡を見つけることができます。尾張町付近の惣構特集も考えています。
↓ 袋町橋あたりはこんな感じで惣構えがあったのではないかと想像ができます。
↓ 建物の後ろなどにところどころ惣構の跡を発見することができます。面白いですね。
↓ 惣構の後を追っていくと石碑、歴史のみちしるべに出会うので面白いのです。
主計町付近
かつては取水口があったりと現代も整備がされているこの主計町付近です。観光地となっている有名なあかり坂や暗がり坂自体が土居であったということにも注目です。もちろん、その坂を登る階段には惣構の痕跡がありました。
↓ 観光地としても有名な主計町の「暗がり坂」もこんな感じの惣構えだったのでしょう。
↓ 「暗がり坂」の横には野面積みっぽい跡があります。これは惣構の跡でしょう。
↓ こちらは「あかり坂」坂の横には惣構の跡があります。この野面積みがおそらく惣構の跡といえるでしょう。※ 間違ってたら教えて下さい
とこのようにGoogle Mapの地図を使って金沢を歩くといろいろな発見があって大変に知的好奇心を満たす観光ができるのです!(ドヤ顔!)すいません。。
実際に金沢の街をこのGoogle Mapと歩きました。その結果
歩き過ぎには注意しましょう。。。トホホ。
さいごに
いかがだったでしょうか?「金沢の歴史探訪の入り口「内惣構マップ現代版」をつくりました!これを持って歩けばブラタモリ金沢なんか楽勝っ!!」
惣構特集の第一回ということで全体を見渡せるようなないようにしたいと思っていました。地図を公開したり、どのように地図を使ったりするのかなどちょっとはこの地味〜〜〜〜〜な惣構の面白さに触れることができたのであれば本マガジンとしては本望です。
惣構の番人のお話。惣構に架かっていた橋の話。枡形といって惣構でもセキュリティが強固だった部分のお話。火事の話。この惣構えを中心にして様々な人間・都市模様が金沢には眠っています。それらを少しずつ掘り起こしていきたいと思っています。
新幹線開通で多くの人が金沢にはいってくるようになりました。地元では「私の金沢がみんなの金沢になった」という人もいました。金沢は奥座敷としての特別感が今まであったと思います。新幹線の開通でこの特別感が一般的になりつつ今、さらに深い金沢の特別感を作り出しさらに味わいのある金沢に進化させることが本メディアの役割ではないかと思っています。
地味なお話ではありますが今後ともお付き合いいただけると幸いです。