近江町市場の近代の歴史!前代未聞!元禄三年になんと金沢の二つの市場が同時に焼失!どこで魚買うんだよwwwこれで近江町市場は歴史探訪の漁場と化すwww

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北陸新幹線が開業して近江町市場は観光客で溢れかえっておりますが、地元的には観光客が多いかどうかをどうやって見分ける方法があるように思います。それは海鮮丼屋に並んでいるのは間違いなく観光客だと勝手に判断しているような気がしてなりませんm(_ _)m 地元の人は食べないのですが一度は食べてみたいのです。そういえば一度食べました[ 海鮮丼を食べた記事 ]。いつもアクセル全開でいきなり峻烈なことを言ってすいませんm(_ _)m

金沢内惣構めぐり

 

ゴールデンウィークの近江町市場の様子

さて、この近江町市場ですが地元では市民の台所と言われていたり、観光客の皆様的には新鮮な魚が食べられる所というイメージがあったりとする金沢の人気観光地の一つとなっています。

今回はこの近江町市場の成立を含めどのような過去があったのかを無駄に掘り出してみようといういつものように誰もついてこれない異常観光情報をお届けすることとなりましたww すいません。

この近江町市場の歴史を知ると近江町市場は歴史探訪の漁場化する!と勝手に思っていますm(_ _)m

さて、それでは退屈かもしれませんが

論文とは違ってくっそわかりやすく!わかりやすく!!書きまくりました!

文化・学術エンターテイメントを目指している本メディアとしてはわかりやすさがいちばん!!しっかし!クッソ、くーーーっそ長い文章になってしまったわけですが少々お付き合いくださいm(_ _)m

元禄時代(1688〜1704年)の金沢の市場

元禄時代 (1688〜1704年) の金沢には二つの魚市場がありました。それぞれの魚市場は面白いことに川の入り口に設けられていました。御存知の通り、犀川と浅野川の二つの川の入口付近に魚市場が設けられていました。

犀川の入り口の市場 = 魚屋町市場
浅野川の入り口の市場 = 袋町市場

この2つの市場が一体どこにあったのか、どんな市場だったかを少し説明する所からはじめたいと思います。

【市場その1】魚屋町 犀川口の市場 (竪町入り口付近)

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魚屋町があったと思われる場所付近 画像:Google Street viewより

魚屋町という聞きなれない名前の町名かもしれませんが、この魚屋町は現在の竪町の入り口あたり(おそらくパティオあたり) から河原町方面にかけてが魚屋町だったといいます。

余談ですが、竪町のパティオ入口の前の十字路あたりはかつては権七ヶ辻(ごんしちがつじ) と呼ばれていた事があったといいます。面白いことに権七ではなかった。。ちがうっ権五だった。。とか呼び名が色々とあったと森田は言っていますが詳細は知れず。300年前くらい前になりますが、この辺りが魚が沢山並んでいたと思うと不思議な感じがします。

 

魚屋町の名家:野々市屋五右衛門 ( およそ二代藩主利長・利常時代〜 )

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代々と野々市屋五右衛門の屋敷があってこのこの小路は野々市屋小路と言われた 画像:Google Street viewより

この魚屋町には魚商を営んでいた商人がいました。その名前は「野々市屋五右衛門」といって魚屋市場ができた時からの名家であると金澤古蹟志にあったので魚屋町が確認できる元禄三年前からすでに野々市屋五右衛門はこの地で営業していたのかと思います。この野々市屋家は正徳時代(1711〜1715年) には「野々市屋八右衛門」として野々市屋五右衛門の後を受け継いでいく。五右衛門だとか、八右衛門とかややこしいす。。

正徳時代には後を継いだ「野々市屋八右衛門」が袋町から場所を移すことになる近江町市場に魚を運んでいたという記録が残っています※1-1。この野々市屋家は嘉永時代(1848〜1854年)あたりまで、おそらくですが「パティオ」の周辺、権七ヶ辻の東角ということなのでパティオだと思いますが、その辺りに屋敷があったそうです。パティオ横、Big Bossの通りから「うつのみや」への小路は野々市屋小路と言われていたとも伝えられているから面白い。(位置関係に間違いがありましたら教えて下さい)

【市場その2】袋町 浅野川口の市場 (近江町市場横の袋町)

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浅野川付近の様子 / 巌 如春,加賀藩儀式風俗図絵 浅野川大橋 (市場の商売のスタイルはこのような感じだったのではないかと)

あれ?近江町は?と思われるかもしれませんが、元々は近江町市場の横の町、袋町に魚市場がありました。今では近江町市場の横のちょっと前衛的な建物、ハコマチ(元ダイエー)という施設の立っているあたりが袋町です。

現在では袋町と近江町の間にある道路(市姫神社の前)はこの時代には細い小路でした。近江町から見てハコマチ(元ダイエー)の裏が大きな幹線道路でした。のの幹線道路は後にお話しますが北陸街道でもありました。市姫神社の裏辺りに石碑・歴史のまちしるべもあるようです。

 

袋町の名家:新保屋次郎右衛門 (二代藩主 利長時代)

袋町の逸話が残っています。この地の名家「新保屋次郎右衛門(またの名を石川次郎右衛門)」です。時代は二代藩主利長 ( 永禄5年 1562年〜慶長19年 1614年 ) の時代に、新保屋次郎右衛門は袋町に住んでいました。この次郎右衛門は前田利長を始め加賀藩の食材の調達などをする今でいう仲買人だったといいます。

前田利長が富山県の高岡へ隠居の時もその地で食材調達役を担い、もちろん高岡に住まいを設けて越中の魚の運搬などもしたという話です。金沢の袋町には妻子を置いて単身赴任で高岡住み、高岡町の年寄りを務めていたとのことです。この時代にも単身赴任があったんだなぁと。

袋町の名家:越前屋喜右衛門 (三代藩主 利常時代)

その他にも逸話があって「越前屋賢良自伝※2-1」のなかに3代藩主 前田利常 ( 文禄2年 1594年 〜 万治元年 1658年 ) の時代に袋町の町人が市場を作ってくれとお願いしたところ、当時の越前屋の越前屋宗壽が袋町に住んでおり、彼がいるからということで市場を作っても良いという許可が出たという話があります。

越前屋というのは前田利家時代に御用をたまわっていた越前屋喜右衛門という人が居て彼は越前より金沢へ住まいを移し、大手町、寺町、袋町と順に住まいを変えたという人とのこと。

この袋町を語るにはこの二人、新保屋次郎右衛門、越前屋家のことを覚えておいたらいいかもしれません。

近江町の(雪)穴

袋町ではなく、近江町の話になるのですが、近江町市場のどこかにアナと雪の女王のような響きの「雪穴」いわゆる氷室があったと言われています。この雪穴は残念なことに現在では全く確認することができないのです。くやしい! ※3-1

そもそもこの氷室と言うのは冬の間保存した雪を夏の冷蔵庫用に利用するというもので、中国などでも多くこの文化を見ることができます。日本でも奈良時代くらいからも行われていたことが知られている ※3-2

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画像) 金沢経済新聞「玉泉湖のほとりに建つ氷室小屋」2012年03月28日より

これが近江町市場にもあったということです。明治時代にもこの近江町には雪穴のあった小路を穴と呼ばれいていると金澤古蹟志にはあるので明治期にはまだ残っていたのでしょう。

先ほど登場した正徳5年(1715年)この雪穴に魚屋町の「野々市屋八右衛門」が魚を保存していたという話も出てくるので正徳5年以前にはもう近江町あたりに雪穴がすでにあったと考えても良い。

今の近江町にはこの痕跡が全くないというが、意地でも探してみたいと思う私ですが。。。何か情報をください。。

 

ここまでのまとめ

1.元禄時代には2つの市場が金沢にはあった

・魚屋町市場 (犀川口:現在の竪町)
・袋町市場 (浅野川口:現在の袋町と同じ場所)

2.各市場には名家がいた (重要ではないのですが)

・魚屋町市場 = 野々市屋五右衛門(後に野々市屋八右衛門)
・袋町市場 = 新保屋次郎右衛門, 越前屋喜右衛門

3.近江町の穴

.かつての近江町市場(現在と同じ場所)には雪穴という氷室があって魚を保存する場所があった

元禄3年(1690年)の竪町からの大火

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画像) 加賀藩史の元禄三年の大火についての記述箇所

元禄3年(1690年)の火災で魚屋町、そして奇しくも袋町の市場も延焼する。市場が2つとも二日の間に大火で燃えるのである。ここからが謎と言われているのですが、大火の後に市場は一つに移動・合併し近江町市場になるわけなのです。

一度目の大火は元禄3年(1690年)3月16日 20時ごろ犀川竪町高橋義兵衛の家より出火(竪町付近)。魚屋町も延焼。二度目の大火では図書橋辺りから出火し延焼していく。この図書橋というのは現在の下堤町の交差点からムラハタの方へ抜けた先、現在の能登印刷さんの前あたりの外惣構に架かっていた橋です。その辺りからの出火し二日にわたって燃え続けた。

大火の被害についてですがまずは元禄3年(1690年)3月16日の竪町付近の一度目の出火、この時には屋敷1,000軒近くを焼失。明けて17時の早朝5時より図書橋近くの向町堀宗叔宅より出火し、翌日18日に鎮火。図書橋付近、二度めの大火では6,500軒近くが延焼。相当燃えました。死者は少なく6人 ※4-1。前途のように元禄3年(1690年)3月16日から18日にかけて二度の大火が一度に起こるわけですが、立て続けの二度の大火で6,500軒近くもの屋敷が消失するというかなりの大火だったわけです。

2つの市場が急に燃えちゃってどこで魚買えばいいんだよwwwwwww

この大火で奇しくも二つの市場が大火によって同時に消失したわけです。市場が合併し一つに向かっていくのはこの「元禄三年の大火きっかけ」と考えるのが定説となっています。

「近江町市場の誕生」大火・合併後の市場は袋町ではなく近江町に市場開設の謎

元禄三年の大火で二つの市場が消失した後に、二つの市場を一つにするということで浅野川口の魚屋市場である袋町市場に統合する!というわけではなく何故か近江町市場に二つの市場を統合する流れになります。

何故袋町の市場ではなく近江町市場へ移動したのかということが謎として多くの人がこの謎に関して言及しています。完全に燃えきってしまった市場をどこにするかという様々な理由から推測するわけです。

まず、先ほどの近江町の穴の話から金澤古蹟志の中で森田平次は近江町市場に前々から近江町の穴という氷室があったために移動したのではないか。大火の後ですので燃えてしまっているかもしれませんが、確かにその可能性はあるでしょう。これに対して日置謙は石川県史の中で氷室ごときで多くの商人は一斉に移動しないだろうと日置節を炸裂しながらも、袋町はそもそも狭く、大火をきっかけに移動しただけと言ったりしている。

近江町市場の近代の歴史!前代未聞!元禄三年になんと金沢の二つの市場が同時に焼失!どこで魚買うんだよwwwこれで近江町市場は歴史探訪の漁場と化すwww
画像) 延宝金沢図より小西裕太が作図

他方、八田健一などによると袋町は北陸街道の幹線であり、多くの人が通るために通行の妨げになるということから近江町へ移動したんじゃね?などと言ってる。とは言え、正直なところ時代が違うからこう思うのかもしれないが、北陸街道の幹線沿いに市場があったほうが物が売れるのではないかとか現代人の私は思うのですが ※5-1。

さらに指摘として私が案じるのは、魚屋市場ではなくなぜ袋町市場方面に統合したかを考えると、市場統合後の流通のことであるが、七尾・輪島・越中氷見・放生津・岩瀬・魚津など遠くから来た魚は交通の便の都合上、近江町市場へ運ばれたと書かれている ※5-2。そのために宮腰街道の入り口に位置する近江町は場所的にメリットがあったということをしっかりと抑えておきたい。この先の北前船などもきっとこのへんで絡んでくるのではないかと思う。魚屋市場よりも近江町のほうが海から近く便利だったということだ。

そして、この近江町市場は外・内の二つの惣構の中にあるということだ。市姫神社は内惣構の入り口にあることで卯辰山の方へ移動(寛永16年か18年)しているし、宮腰街道を経由して様々なものが外から入ってくる際、非常に管理がしやすかったのではないかということを指摘しておきたい。もうちょっと調べないと断言できんがな。

元禄三年の大火の後のまとめ

どうして近江町市場に合併したのか?

・袋町が狭かったためにいいタイミングで広くしたのでは? 日置
・雪穴が近江町市場にあったため袋町に移動したのでは? 森田
・北陸道の幹線が袋町を通っていて邪魔だったのでは? 日置、八田

私の見解

・近江町は宮腰街道入り口で多くの流通のメリットがあったのでは?
・外・内の惣構の中にあったため管理がしやすかったのでは?

享保6年(1722年)が近江町市場の成立なのか?

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ここからが近江町市場誕生の最後の謎になります。

どこを見ても近江町市場の成立が享保六年(1722年)と書かれている。公式の近江町市場のサイトにしても金沢市近江町市場史編纂委員会編集の「金沢市近江町市場史」(1979)にも享保六年(1722年)に近江町市場成立と書かれている。

これは一体どこから来たのかという話だ。

まず、我らの郷土の大先生である日置、森田両氏の見解であるが、両者とも享保年間のどこかとは述べてはいるものの何年かはわからないと言っている。加賀藩史料にもこの享保六年には市場のことは何も書かれていないから不思議である。安永七年(1778年) に焼失した魚屋市場が復活ということで加賀藩史料にはしっかりと書かれている。近江町市場が誕生というくらいなのでせいぜい加賀藩資料には書かれてあるかとおもいきや、一体どうなっているのだ。本当にこの享保六年というのは一体どこから来ているのか。誰が言い始めたのだということを探っていく。

すると、「金澤町會所土留記」亨保6年(1722年)12月18日にどの市場にどこの魚が入っているかという記述がある ※6-1。それを引っ張ってくると

魚屋町の魚は安宅・本吉・相川等の上口の浦々より。近江町の魚は宮腰・大根布・荒屋・高松等の下口海浜より。七尾・輪島・越中氷見・放生津・岩瀬・魚津など遠くから来た魚は近江町市場へ運ばれたという。 ようするに

享保六年の金澤町會所土留記中の「近江町市場に魚が運ばれた」という記述から近江町に魚が運ばれていた事実

元禄三年の大火以降の近江町に市場の存在確認

享保六年には近江町市場の存在を確認

という流れで「享保六年には近江町市場成立」ということになっているのではないかと思われる。ここで間違えてはいけないのは享保六年に

じゃじゃん!!成立!!

って感じで成立日があるかのような明確な成立ではないということではないかと思います。元禄三年の大火から少しずつ復興していき、享保六年には近江町市場は機能しており、享保六年に(1722年)その存在の記述があったということ。重要なのは近江町だけではなく魚屋町市場もこの時は機能していたということです。

元禄三年大火以降、享保六年までに近江町市場は少しずつ形をなしていったということだ。明確な成立の記述は無い。これは加賀藩史料を全てとするのであれば間違いなく言えることだ。

この成立の話は私の見解が大きくあるので間違いや根拠が出てきたら教えて下さい。

安永七年(1778年) 魚鳥市場再度設営

元禄三年(1690年) に焼失した二つの市場であるが、その後は近江町市場に統合して市場機能が元に戻っていくが、この魚屋町の市場ももちろんなくなったわけではないのでお忘れなく。安永七年(1778年) には魚鳥市場再度設営ということで加賀藩史料にも書かれており※7-1、市場が正式にしっかりと復活している。

この時にはこの魚屋町の名家である野々市屋八右衛門の功績もきっとあったのだろう(やっとここで名家の話が出てくる。すいません)。この魚屋町は金澤古蹟志で森田が言うには文化年間くらいまでそう呼ばれていたという。

よく考えてみると、竪町に魚屋が数軒あったような気がします。もしかして?野々市屋のご子孫でしょうか?気になるところです。

さいごに

いかがだったでしょうか。

これほどまでに近江町市場のことをグダグダと詳しく取り上げた記事が未だかつてあったでしょうか?!というくらいのものを作ってやろうと思っていたのでメディア的には満足です!w

元禄三年の大火で二つの市場が消失し、近江町市場に市場に統合される。ここでは何も取り上げませんでしたが、実は魚だけではなく鳥や青物(野菜)も扱われており、場所によって魚だけ青物だけなどその市場の特性の話は完全に省いて話をしました。それはわかりやすさを優先したためです。今後はその市場の特性なども少しずつ説明していけたらなと思いますが、まずは大きな流れを知ることからですね。

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また、定説となっていた近江町市場成立の享保六年の話ですが、加賀藩史料にも書かれておらずその明確な年号などの根拠が薄いということ。亨保六年には成立していただろうということしかわからないということ。私も調べてみてあれ?わからねぇぞ?どうしてこうなった?と不思議に思ったのです。そういう意味では新しい気付きになりました。

近江町に足を運ぶ時にこのグダグダとながい近江町の歴史を知って近江町へ行くとまた、近江町の見え方なども異なってくるかもしれません。私にとっての近江町市場は昔の痕跡探しの漁場ですwwww

年代の流れ参考

元禄時代 (1688〜1704年)

  • 2つの市場の存在
  • 元禄3年(1690年):2つの市場の焼失
  • 元禄3年以降:合併

享保時代 (1716〜1735年)

  • 享保6年 : 金澤町會所土留記 享保6年(1722年)12月18日 の記述で近江町の存在確認
  • 末:魚屋町の消滅

安永時代 (1772〜1780年)

  • 7年11月 金沢藩、金沢竪町に魚鳥市場を設く, 魚屋町復活

参考文献

※ 1-1, 2-1 森田平次著,「金沢古蹟志 十四巻」(明治24年初出) 日置謙校訂,歴史図書社 “元禄14年(1701年)に書かれたものとある”
※ 3-1, 3-3 森田平次著,「金沢古蹟志 十三巻」(明治24年初出) 日置謙校訂,歴史図書社
※ 3-2 竹井 巖,神田 健三,小川 弘司, 石川県の氷室(雪室)の調査リスト, 北陸大学 紀要 第33号 (2009) pp. 109~124
※ 4-1 日置謙編, 加賀藩史料 元禄三年三月十六日 “金沢竪町より出火し、翌朝又図書橋向町より出火す”
※ 5-1 金沢市近江町市場史編纂委員会編集,「金沢市近江町市場史」,近江町市場商店振興組合,(1979)
※ 5-2, 6-1 森田平次著,「金澤古蹟志 十四巻」(明治24年初出) 日置謙校訂,歴史図書社 “亨保6年(1722年)12月18日 金澤町會所土留記”
※ 7-1 日置謙編, 加賀藩史料 安永七年十一月十五日 “金澤竪町に魚屋市場を設く” より

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