石川県珠洲市。奥能登の先端部分に位置するこの場所にある須須神社。珠洲の地名はここから来たのではないかと勘ぐってしまいます。
珠洲の由来を調べてみると珠洲市の公式にこのようにありました。
「スズ」は須須神社の祭神が美穂須須見命(ミホ・ススミノミコト)で、そこから地名をとったものではないかと考えられます。
ミホ =ミ(海とか神霊) ホ(抜きん出て秀でている様)
ススミ=烽(煙や火ののろしをあげる所)続日本紀(797年完成)には既に、「珠洲」という地名が登場してしまいますが、漢字がこのようになったのは、それより以前の713年に地名は好字(めでたい文字、または、縁起の良い文字)にするよう命令があったため、その頃に「須須」または「須須見」を「珠洲」という漢字に変えたのではないかと考えられます。
須須神社の祭神が美穂須須見命(ミホ・ススミノミコト)からきたのでは?ということですので須須神社が由来と言ってもいいのではないでしょうか。
この須須神社の歴史はとんでもなく古い。Wikipediaによると
社伝では崇神天皇の治世(紀元前97年 – 紀元前29年)に創建、天平勝宝年間(749年 – 756年)現地に移転したとされる。延喜式神名帳では国幣小社。近代社格制度では県社に列せられる。
移転しているとしても2100年以上もまえから続く神社であるということに驚かされます。もちろんですが平安中期にまとめられた延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)にも名前があります。調べてみると珠洲には3つ延喜式神名帳に名のある神社がありました。今回紹介する須須神社,古麻志比古神社,加志波良比古神社の3つです。
この須須神社は能登半島の鬼門の入り口に位置する鬼門の守護神とされていると言われます。鬼門とは東北の方角を指し陰陽道においては鬼が出入りする方角として忌み嫌われています。京都の比叡山延暦寺もこの鬼門を封じる寺、それを模したといわれる浅草の寛永寺。金沢では卯辰山の寺院群がその鬼門封じの一つと言われます。
この鬼門はどのように日本に伝わったか明確には分かっていません。遣隋使が日本に伝えたという説や紀元前の中国の神異経が伝わったという説など色々とあるようですが。現在では日本だけがこの鬼門にこだわっているという説もあり興味深いところです。
神社は杜と言われるように木々に覆われ、神様の毛体であるという杉の大木を備えた天上にはない世界である。空海は「森の世界はこの人の世はもちろん、天上の世界にさえない。」といっていたのを思い出しました。「竹内信夫氏の優れた著作『空海入門・弘仁のモダニスト』〈勝道碑文〉
須須神社の参道を抜けると須須神社(金分宮)にたどり着きます。
須須神社はこの須須神社(金分宮)の他に須須神社(高座宮)、須須神社(奥宮)からなっています。まだ須須神社(金分宮)以外には足を運んだことはないのですが、近いうちに訪れようと思っています。
奥能登へ訪れた際には一度、2000年の歴史を誇る石川県の鬼門の守護神とされる須須神社を訪れてみてはいかがでしょうか。
住所: 〒927-1451 珠洲市三崎町寺家4-2
宝物殿拝見料(要予約)大人300円 小・中学生無料
連絡先: 0768-88-2772