新年明けましておめでとうございます。2014年8月くらいからはじめた本マガジンはまだ半年すら立っていないよちよち歩きですが、本年もどうぞよろしくお願い致します。
2015年は北陸新幹線が東京・金沢間で開業となります。2015年3月14日開業。東京・金沢の間をなんと2時間半で結ぶことになります。参勤交代がおよそ2週間だったので、このわずか200年ほどでなんと2週間が2時間に短縮されたと思うとこれは驚異に他なりません。
観光でも注目され始めているこの金沢ですが、金沢城では石川県主催のちょっとしたイベントが開催中です。それは金沢城址公園の橋爪門一の門に昔のしめ飾りを再現した!というとんでもなく地味なイベントでWebマガジン向けの記事なのかどうかと悩んだのですが。本マガジンはよりマニアックにより深くお届けするWebマガジン代表として取り上げざるを得ない!ということでWebマガジン向けなのかどうか悩むほど地味な記事を新年一発目にお届けしたいと思います。
というのが2015年の一発目の記事としました。ちょっとだけお付き合いください。
石川県の公式の発表
本イベントはどのようなイベントかと言いますと、下記の石川県が公式に発表したものを参考にすると。
金沢城公園橋爪一の門への「しめ飾り」取付けについて
金沢城公園では、橋爪一の門に「加賀藩儀式風俗図絵」の元旦登城の絵を参考に再現した「しめ飾り」を取り付け、新春を迎える準備を整えます。
記
1取付け日時
平成24年12月28日(金)(1月15日(火)まで設置予定)
午前10時より取付け開始(作業時間30分程度)2しめ飾りの形式等
形式:数の子飾り(かずのこかざり)
仕様:わら造り(しめ縄の長さ5.4m)
技法:「加賀藩儀式風俗図絵」の元旦登城の絵を参考に、
藩政時代の様式を再現3しめ飾り制作者
ワラ工芸師吉岡克己(よしおかかつみ)氏(参考)「加賀藩儀式風俗図絵」の「元旦登城」の絵 金沢大学付属図書館所蔵
巌如春(いわおじょしゅん)筆(1868年生1940没)
筆画年代大正から昭和初期
石川県歴史博物館所蔵「加賀藩大名行列図屏風」の作者吉岡克己(よしおかかつみ)氏76歳(野々市市在住)
この道60年のしめ飾り職人
金沢しめ飾りの伝統を守り、特に素材は地元石川県産材を使用するなどこだわりを持つ※兼六園と金沢城公園は、大晦日終夜開園します。
[ 公式発表のpdf ]
要するに
という結構地味なイベントなんです。何度も言いますが、地味ですいません。
2015年に復元された「しめ飾り」
それでは実際にどのような「しめ飾り」なのか金沢城址公園で見て撮影してきました。
この写真の左のほうに見える橋を渡ったところが橋爪門一の門です。
雪がかなり積もった2015年のスタートですが、この雪化粧した景色もまた美しい金沢城址です。「しめ飾り」がちょっと見えましたね。
これが2015年に「加賀藩儀式風俗図絵」の元旦登城の絵を参考に再現した「しめ飾り」です。
この道60年のしめ飾り職人 野々市町下林4丁目 わら工芸師 吉岡克己(よしおかかつみ)氏 76歳が製作したしめ飾りです。伝統を守り、特に素材は地元石川県産材を使用するなどこだわりを持つとのことで素晴らしい出来だと思います。
そもそもこの「加賀藩儀式風俗図絵」はどのようなものなのかということについても掘っていくのが本マガジンです。
「元日登城」加賀藩儀式風俗図絵
まず、この「しめ飾り」の復元元となっている「加賀藩儀式風俗図絵」の「元日登城」の絵をご覧ください。
※ 「元日登城」加賀藩儀式風俗図絵 金沢大学所蔵貴重資料リポジトリ 巌, 如春 昭和8年(1933)3月
この「元日登城」の絵図を参考に「しめ飾り」を再現されたということです。しっかりと比較してみましょう。
いやぁいい出来だと思います。
そもそも、この「元日登城」加賀藩儀式風俗図絵はいつ書かれたかと言いますと、巌如春(イワオ ジョシュン) によって 昭和8年(1933)3月 に書かれたものと言われています。なんだ、昭和に書かれたものではないかと思ってしまうところでしょう。巌如春については石川県歴史博物館発行図録『風俗画伯 厳 如春 ?都市の記憶を描く?』という本が一冊あるのですが、簡単なプロフィールを参照すると
名は甚蔵。父も甚蔵で金沢の槍師だった。廃藩置県後は梅翁と号して画を持って業とした。如春はその長子で祖先以来の地、竪町に住む。七歳で四条派の飯山華亭の門に入って絵筆をもつ。のち狩野派の佐々木泉龍に師事する。如春は、加賀藩の風俗典礼の故事に精通すること生き字引の如くで、その旧藩時代の風俗画は艶麗精微をきわめた。また、地方文化の向上に貢献すること二十六年の長きに及び、大正四年(1915)創立の加能史談会の理事を勤める。
絵師としての能力はもちろんのこと、加能史談会の理事であったり、風俗典礼についても精通していたということなので伝統・細部にこだわって描いていたのだろうなと想像に難くはありません。
このほかにも調べていくと巌如春は「しめ飾り」について描いています。
「廻礼」加賀藩年中行事図絵
※ 「廻礼」加賀藩年中行事図絵 金沢大学所蔵貴重資料リポジトリ 巌, 如春 昭和7年(1932)6月
こちらは「元日登城」加賀藩儀式風俗図絵と同じ橋爪門一の門ではないと思いますが、「しめ飾り」はともに似ていると思います。
2015年に復元された「しめ縄」の長さといい左右に広がるにつれて形状が細くなっていく部分と言い非常に再現性は高いと言えるのではないでしょうか。
こちらの「しめ飾り」の形式は石川県の公式の発表にもあったように
というものだそうです。確かに数の子ような形状していますね。私は初めて聞きました。
大事なことを言い忘れるところでした!このしめ飾りは
ご覧になりたい方はお早めに!
かつての橋爪門一の門の姿
今となっては復元された橋爪門一の門が金沢城址にたっていますが、こちらはもちろん復元されたものです。明治14年(1881年)に焼失しているのですが、その消失前の橋爪門一の門は文化6年(1809年)に建てられたものだったそうです。平成27年春には橋爪門一の門、二の門すべてが復元完了するということです。北陸新幹線に合わせ完成するということなのでさらに楽しみが膨らみます。
さて、この橋爪門一の門ですが明治時代の写真にも残っていました。探すともう少し出てくるかもしれませんが知る限り2つの写真でその姿を見ることができました。2枚とも明治初期の写真と推定されています。
オランダの医師アントニウス・ボードウィンが幕府に招待され彼が多くの写真を日本国内で残しており、ボードウィンコレクションとして多くの古い写真が長崎大学附属図書館に所蔵されています。そのボードウィンコレクションの中にこの橋爪門一の門は写っています。
※ 「金沢城」 ボードウィンコレクション NO.6645 長崎大学附属図書館蔵 明治初期
ボードウィンコレクションでは橋爪門以外に多くのものが写り込んでいます。二重櫓五十間長屋、二重多聞櫓、右端に菱櫓、二重櫓などなど。河北門までは写り込んでないですね。
他にも写り込んでいるものがありました。
※ 「橋爪門」 金沢市立図書館 明治初期
こちらも古い写真で橋爪門一の門前の橋もしっかりと確認ができます。
明治初期は廃仏毀釈の動きもあり世の中が荒れた時期でもありました。多くの貴重な資料は燃え、寺は燃え、城は荒廃した時代でした。とはいえ、この金沢という街も500年のうちに何度も大火にあい多くの貴重な資料が燃えてしまっています。大火の影響だけとは言いませんが、特に16世紀以前の資料が極端に少ないのがこの金沢の現状です。高山右近が過ごした26年間を辿ろうにもなかなか資料がありません。
その少ない手がかりをもとに富田景周、日置謙、森田平次などの泰斗がこの金沢の歴史に骨を通してくれました。今、それに肉付けをするのが私たちの役目ではないかと思っています。
さいごに
いかがだったでしょうか「2015年1月15日まで金沢城公園の橋爪一の門で「しめ飾り」取り付け!こんな地味な記事はWebマガジン向けではないだろ!」
こんな地味なイベントが本当にWebマガジンで記事になるのかどうかと思いながら書いてきましたが、楽しめましょたでしょうか? 巌如春の絵を元にしめ縄は製作されたということですが、実際に比較してみるとしっかり製作されていると主に、設置された橋爪門に掛けられ、絵の世界と実際に同じシーンを再現するところにまた面白さがあったのではないかと思います。
実際にこの橋爪門の橋を城主が登城したのだろうか。実際に着物姿で登城してみようか。いろいろと想像するだけで楽しくなってきます。それがまた、歴史の面白いところです。どうでしょう?ちょっと歴史が楽しくなりましたか?
2015年もこの調子で続けていきます笑 どうぞ宜しくお願いいたします。